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自分を知ることは自分を大切にする手段を得ること



時々思い出したようにここに綴る言葉。

誰かに言ってるようだけど未来への自分への覚書。

自分を知るのは自分が心地よいと思う場所や時、人やものを見出すこと

それを知ると反対に自分にとってしんどい環境や苦手な物に気付ける。

好きを知るだけではダメなのだ。
逆に嫌いを知ると自然と好きが残る😊

好きがわからない人は嫌いを排除して引き算すると自ずといい環境に引っ張って行ってくれるはず♡

とても大切なことなので一度しっかり向き合うと良いと思うことだなって最近思ってた。

ここ数日心地よいと思う私が囲まれている環境をまじまじと観察してみた。


私は圧倒的に無機質な物質に囲まれている時間が少ないのだ。

【無機質】って生命活動がかかってない物質を指す言葉らしい。

なるほど。

私が1番長く過ごしている我が家は木なのだけどスピーカーまでも木でね。

今更なのにキッチンにあるものからかなり細部まで木製品がとても多くてこんなにも沢山命を感じるもので囲まれていたのだとハッとした。

少しずつ探して全部お気に入りを集めた結果だ。

そして仕事道具のユーファイ。
ソルトポットは素焼きの壺。溶岩のブロックもハーブも全部自然界の温もりを最大に感じる事ができる生命体だったのだ。

私はよく触れるもの、よく目にするものは木や人の手を介した温もりが好きなんだろう。

そしてずっと勤務していた歯科医院も実は医療機関でありながら木の温もりがある空間だったのだ!
だから私は長く穏やかに勤務出来たのだ!
とさっき気付いた笑

今の家もデザイナーさんにお願いしたわけではなく工務店の社長に旦那と私のこうしたいを全部叶えてもらった家なのです。

家だけ洗練されていても取り急ぎで足りるものを置いてたりプラスチックだらけの空間は私の中でザワザワして。

インテリアも旦那が色んなところに行って少しずつ集めたもので高価では無いけれどやはり手仕事品や世界に一個しか無いような古い木の物も多い。

旅行にいくと雑貨屋さんに行って色々掘り出し物を見つけたりして少しずつ集めてきたものだ。

旦那のときめくものと私のときめくものが一緒だったからよかったけれどこれが無機質なものだらけならどうなっていたのか😂

ま、結果よかったわけで…

5年前に私たちの想像の百倍ぐらい素敵な家を建てて頂きました✨✨

サロンも出来たらいいなって思ってじゃあとりあえず部屋は用意しておこう。
と準備していたら今はちゃんとサロン部屋になっていました♡

元々サロンにしようと思って作った家じゃなくて誰かに見せるためでもなくとにかく自分達のご機嫌になれる素敵な空間造りをモットーに建てました。

夏は涼しく冬は暖かいデザインも機能も兼ね備えた我が家。

結局わがままでトータルで快適がいい。

社長も大工さんも棟梁もみーんなめちゃくちゃいい人で激しくオススメします♪

大元工務店

https://o-moto.com/

私が家で1番好きなのはレンガのキッチン。
1番長くいる空間でもある。

私料理があまり好きじゃなくて。
苦手なわけじゃないけど家族に食べさせるぐらいしかやりたくなくて作らなくていいなら作りたくない笑

私は自分をよく知ってるので苦手な場所を自分の心地よい空間にする作戦を取り、そしたらやる気が起きるのではと単純な発想がよかった♪

食洗機もケチらず大きなものを設置して蓋も無機質を減らすため木を貼り付けてもらいましたよ笑

お陰でキッチンに立つことは楽しくなったし疲れてしんどくても洗い物は大きな食洗機が頑張ってくれます♡

キッチンだけ見ると料理好きそうな人に見られるけど好きなキッチンづくりの背景にはそんな事情がありましたとさ😆

建物も無機質の大理石やセラミック、ステンレスやタイルまみれのいわゆる洗練されたピカピカしててツヤツヤしてて美しすぎるものは私にとってあまり居心地が良くない。

私は洗練されすぎているものは人の温もりを全部かき消す冷たさを感じるのだ。


無機質がいいとか悪いとか言ってるわけではなくて私はそう感じる。
ただそれだけ。

だから無機質な電化製品が並ぶ家電量販店とか高級ホテルのラウンジとかブランドのロゴが大きく入っているものも私はときめかない😂

私にとって洗練されすぎてたりラグジュアリーと呼ばれる空間は全く落ち着かないのだ…

自分が心地よいと思う事やときめくものが相手も同じかと言うと価値観が違うから華やかなものが好きな人もいるしそうじゃない人もいる。

それが違うから否定をするわけでもなくみんな違ってみんな良いのだ。

ただ同じ好きを共有するのも大事だけどこれは許せないもの、嫌いな物が共通してる方が一緒にいて長くいてとても心地よい存在な気がする。

お互いそれを絶対にしないから心地よい関係でいられる。

上から圧をかけるような物の言い方や見下したり世の中の全てを見透かしてるかのような物の言い方する人とはなるべく一緒に居たくないしね。

そして考えた。
私はなぜ洗練されたスタイリッシュでラグジュアリーなものが苦手なのか。
おそらく私がそこにいると完璧を求められてるように感じるから。

余計なものを削ぎ落とした完璧に近いその空間は自分は完璧な振る舞いで本来の私を押し殺して立ち振る舞うような気がしてならないのだ。

誰に見られるわけでもないのにスポットライト浴びたようなそんな気になってしまう。

私は注目を浴びずひっそりと生きていきたいタイプの人間。
表沙汰に出る活躍ではなく実はそれを支えていました的な黒衣のような。

太陽のように情熱的で影響を与えるよりもひっそりとだけど優しく見守っているようなお月様になりたいのだ。

ありのままの私はあまりに自然体すぎるからいつもの私でいられない気がするのです。

だから自分が溶け込むような自然な物が置いてある空間にいつも身を置いていたい

恋愛もそう。
好きで好きで仕方ない人の前ではちょっと背伸びしてありのままの自分で曝け出すことはできなくて相手に好かれようと無理してしまう。って経験ないですか?

好きなのに疲れちゃうし常に相手のご機嫌を気にしてしまう。
本当の私はこうなのにな…の葛藤もあって。
いわゆる恋に恋しちゃう感じ。

仕事でも恋愛でもそれを目の前にしている時の自分の立ち振る舞いや頑張りが好きかどうか。
それを基準にして私らしいを感じる事が出来たらいいんじゃないかなって思います♪

無理するということは少なからず本当の気持ちを押し殺しているから。
そういう積み重ねが自分を苦しめていきいつか爆発してしまう前に気付いて吐き出してあげるのが大切。

話が二転三転してしまったけど何が言いたいか

誰かのご機嫌を取る前に自分のご機嫌を取ると言うこと
どんなに小さな要求でも少しずつ満たしてあげる練習をしていく

どんなところにいる時がどういうふうに過ごしてる時が落ち着いていてご機嫌なのか

逆にどういう環境にいるとイライラして我慢して穏やかにいられないのか

表裏一体とは言ったものでそれがいいとか悪いとかそんな事ではなくただただ自分がどう感じるのかを全力でその瞬間を感じ通しきるとちゃんと見える世界があるんだなって少し気づいて。

日々長く過ごす空間での皆さんの心地よさや自分らしさを見つけたら小さな幸せってそこらじゅうに散りばめられている😊

幸せって時間やお金をかけなくても沢山あって物がありすぎたり目移りするものばかりに日々追われているとその大切なものを見落としてしまうかもしれないよってお話。

さて未来の私はこれを読んでどう感じるか…😆

最後まで読んでくださった方ありがとう♡

あなたは大切な時間をこれを読むのに割いてくれたステキな人です🙏

そんなの知ってるよでもそう言う考え方もあるんだでも共感してもらえたら嬉しいな♡

ではまた♪